wabi sabi hibi 2


或る美しくせつない音とことばの記憶 12

清志郎が逝って2年と2ヶ月が過ぎて、
きっとこんな時間を繰り返していたら、あっという間に私の番が来てしまいそう。
こんな風にしてちゃダメだな。なんかしなくちゃ。
少なくとも、こうしてられることに感謝しなきゃ。
清志郎の声を聞くとそう思う。

山ほどある素晴らしいことばの中から(しかも私はまだその一握りしか知らない)
ここのところ大好きな「スローバラード」を。
こんなシンプルなことばと音のなかに、
愛する幸せや、それと隣り合わせのやるせない哀しみ、不安、
すべてひっくるめた人間らしい「切なさ」を表せる人はいない。

そして彼のことばは、彼の音に乗って完成される。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨日は車のなかで寝た
あの娘と手を繋いで
市営グラウンドの駐車場
ふたりで毛布にくるまって

カーラジオからスローバラード
夜露が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ

あの娘の寝言を聞いたよ
ほんとさ、確かに聞いたんだ

カーラジオからスローバラード
夜露が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ

ぼくら夢を見たのさ
とっても良く似た夢を


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# by sayanbon | 2011-07-02 06:49 | うつくしいもの/aesthetic-art


そのまなざしに刺さりたい。

今日響いたひとこと。

「意味なんてどうにでもなる」

よっしゃー!あとちょっと、踏ん張るぞ!
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# by sayanbon | 2011-06-18 00:30 | 徒然/no big deal


You had your chance!

腹が立ったので、というか、全然その気になれなかったので、
初めて、ごはんをつくるのを拒否してみた。
自分の分だけ、自分の食べたい物を作って食べた。
相手には、「自分のご飯は自分で準備してください」と。
今日はおやすみの日だし、仕事が或る訳でもないし、いいよね。

申し訳ない気分にはなったけど、ちょっとすっとした。
ああ嫌なヤツ。私。
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# by sayanbon | 2011-06-06 04:51 | 徒然/no big deal


或る美しくせつない音とことばの記憶 11

「美しくせつない」=耽美的、センチメンタリズム、ノスタルジアじゃない。
そう、和田唱だって、希有なセンスを持った一流詩人だ!
というわけで、トライセラトップス。私のブログには2、3年に一度のペースで
必ず登場する、愛すべき3ピース、トライセラトップス。
ずっと昔に彼らの音楽性の個人的評価はぐだぐだと書いたので、
とりあえず、絶妙にかわいくニクい歌詞を。

「彼女のシニヨン」!(初期トライセラはネーミングセンスが抜群すぎ!)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最近してる君のその髪型、
シニヨンっていうんだっけ?

やっぱり君は似合うけど
もう僕はね気にもしないのさ

だって、ついに現れた
カノジョこそが似合うのさ
そうさ、ついに現れた
カノジョこそが似合うのさ

さらさらストレートロングだった頃の君にフラれて
このまま君ほどのコなんて
現れないなんて言ったけど

今は僕に現れた
カノジョこそが似合うのさ
そうさ、ついに現れた
カノジョこそが似合うのさ

とっても綺麗なその顔で君には
派手なワンピースだって、
誰より似合ったけど

今は僕に現れた
カノジョこそが似合うのさ
そうさ、ついに現れた
カノジョこそが似合うのさ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

読めばお分かりの通り、この「カノジョ(私の一存でカタカナ表記してます)」
と「君」は別の人間。「君」は元カノ、もしくは片思いしてた相手です。
その「君」に未練たらったらで、シニヨンの似合うかわいいカノジョが出来てなお、
「君」に気にかけてもらいたくて、意地っ張りなはったりをかましています。
本当は、綺麗で派手な「君」の方が好きなのがひしひしと伝わってくる。
でもきっと「君」には受け止めてもらえない。悔しい。
この「オトコノコ」感がもうすばらしく簡潔に表現されいて、きゅんとします。
しかもこれを唱う和田唱という人間が正にこの曲の主人公にぴったりなキャラ。
公私混同、超パーソナル、でもそれを消化しているから強い。カッコいい。
つーか、カワイイ。

こんなストレートな歌詞、なかなか書けるもんじゃないと思います。
ジョンレノンですら、もうちょっと距離あるって。
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# by sayanbon | 2011-05-28 21:12 | うつくしいもの/aesthetic-art


忘れた歌を思い出す。

昨日の夕方。休日恒例の家族行脚を終えて帰宅すると、
アパートの入り口にうす黄色のカナリアがちょこんといた。
丁度、彼の実家や職場、親戚の家でペットを愛でて帰って来たところだったので、
「あーあ、うちにも動物がいたらなあ」と考えながら歩いていたところ、
まさにその瞬間、足下にカナリア。
びっくり。

負傷してはいないようだが、どこかの家から脱走(翔?)してきたには間違いない。
少し飛んでも高さも距離もない。
アパートでは猫が何匹か出入りしているので、とりあえず確保しうちへ。

実は、私達はカナリアには特別な思いがあるのだ。
彼の実家には以前、偶然飛んで来て、そのまま飼い鳥になった
きれいなきれいなまるっこいカナリアがいた。良く泣く雄だった。
そこに、ご両親の友人が、つがいになるように雌をプレゼントし、
2羽一緒にちいさなかごで暮らしていた。
特に彼のお母さんはとても大切にしていて、
しばらく居候していた私達もよく世話をしていた。
特に暇人だった私は、もともと動物に必要以上に愛着を持ってしまう性格も手伝い
とくに気にかけて世話をしていた。
それが半年前、ある拍子に2羽とも逃げてしまったのだ。
私はそれを後から聞いて大ショック。
まあ、自由になったんだと思えば救われるが、自然のなかでやっていけるほど、
ワイルドにも見えなかった2羽だったから、心配で。。。

それが今回の出会い。
こちらの勝手なストーリー、エゴだとは解っているけれど、なんとも不思議。

靴を買ったときの箱に、布と新聞を敷いて、水をはったお皿を置いて、
ごはんには、キャベツとクラッカーと、すこしの胡麻と十穀米。
きっと彼女(色も薄いし、鳴かないから女の子?)は、
外の世界できままに暮らしたいのかもしれないけど、
私は動物のいる生活にとてもしあわせ。
ちょっと気になればすぐに覗いてしまう。

しばらくは、うちで過ごしてもらいたいなあ。
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# by sayanbon | 2011-05-16 19:41 | 徒然/no big deal


My Confession 3

(つづき、ラストです)

どこだって一長一短ある。
日本に帰ったからしあわせという訳でもない。
それでも今後数年の人生設計のなかで、
自分の納得出来る環境を求めるなら、日本で仕事を必死に探して、
日本語も出来ないポルトガル人と共に、楽しく暮らせるだけの生活を
脇目も振らず働いて、なんとか作り上げれば良い話だ。
私達の日本で暮らしてみたいという気持ちは常に変わらない。
けれどなんとなく、気持ちが前に向かない。
気後れしてしまう。
何かひっかかる。

それは、やはり3月の大地震、震災のことだ。

別に地震や放射能が恐い訳でもない。
万が一大きな地震に見舞われたり、
何十年後かに癌で死ぬとしても、
たいせつな故郷で暮らして骨を埋められるならばそれでいいと思っている。
どこにいたって何があるか解らない、明日車に轢かれる可能性だってある。
彼も、彼の家族も、地震の関係で心配している訳でもない。
ただ、私の心がなんとなく「申し訳なく」感じているようだ。

あの日私は日本に、東京に、いなかった。
たいせつな友人たちは東京で、仙台で、恐ろしい思いをした。
今も放射能の不安と隣り合わせだ。
東北の惨状、今後の復興に関する問題も然ることながら、
震災後、ずっと東京のこと、東京にいる友人たちのことが頭を離れない。
私は、あの日の午後の恐怖や、余震の辛さ、精神的ダメージ、
パニック、電気やモノの無い東京を体験していない。
皆の体験した「非日常」を知らない。
同時に、そこで皆が感じた人の温かさ、優しさ、
「日本人で良かった」、「日本人は必ず立ち上がる」という鼓舞した気持ちも、
いろんなことの有り難みも、共有出来なかった。
日本は今回大きな災害に遭い、大きな社会的変革時期を迎えている。
国民の意識が、明らかに変わっている。
一時的なものかもしれないが今はそうとは思えないほど強い変化だ。
外から見ていると、大きな負のエネルギーが、
かけがえのないプラスの力に変わって、国民をオーラで包んでいるように見える。
それは震災直後から今でも続いている。
私は、そのオーラに守られていない。

遠くからネットで色んな記事を読んだり、海外のニュースを見たり、
募金やチャリティに参加はして、涙したり、感動したりはしても、
皆の辛さを私は本当の意味で知ることはない。
今回の地震を体験しなかったということは、
私にとって、後ろめたいわだかまりになっている。
伝わりにくいかもしれないけれど。

こんな私が、のこのこと東京に戻ってもいいのかな?
地震を体験しなかった私が東京で余震にあっても、
みんなみたいに落ち着いて行動出来るかな?
節電もしなくちゃいけないのに、邪魔なんじゃないだろうか?
この罪悪感や、申し訳なさ、不安が、
本気国のための、最後の一押しをためらっているようだ。
小心者だなあとは思うんだけれど。なんだかなあ。
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# by sayanbon | 2011-05-03 03:47 | 考えた/note of thoughts


My Confession 2

(前エントリーのつづき)

働く気が起きないというのも、何様のつもりかと自分でも思うが、
決して働きたくない訳じゃない。今すぐにでもどこかに勤めたい。
ただ、この国で「納得して働ける環境」を見つけるのは、
私にはものすごく難しく思えるのだ。日本よりずっと。

納得して働くというのは、自分の想い描く理想通りの会社で働きたい、
高いお給料が欲しい、長いホリデーが欲しいということではない。
そりゃ、環境が良いに越したことはないけれど。
私が納得出来る環境というのは、みんながお互いの仕事を認め合って、
常に精一杯できる範囲で努力して、チームとして成立している職場だ。
私は、いわゆる日本風の残業当たり前の気風も嫌じゃない。
仕事は時には辛くても、その分やりがいを感じられるものだ。
それで精神や身体に支障を来すようでは困るが、
みんなハッピーでしかもらくちんな仕事なんてないと思っているし、
今までの経験でもそんな楽しいだけの職場はなかった。
辛いことのほうが多かったところもある。
休みもなく働き続けなければいけなかったところもある。
人間関係が難しかったところもある。
それでもどこもしあわせな職場だった。辞めたくて辞めたところはない。
それは自分の存在が認められているという自信や、
辛くてもそれに見合う評価がされていると思える瞬間や、
誰かの役に立っている(ひとりよがりかもしれないが)誇りや、
仕事の後の一杯を楽しめる仲間の存在、そういうものがあったからだ。

その点、ポルトガルはどうだろうか。
たった2年だけでこの国をジャッジするのも失礼な話かもしれないが、
ポルトガル人は「どう楽するか」「どう責任を回避するか」を優先する。
自分が一番大切。会社、仕事仲間、社会は二の次三の次。四の次かも。
周りの人間、大学で出会った人、バイト先で出会った人、
メディア、そして自分自身の友人達を見てきて、そう感じるのだ。
ポルトガル人のメンツのために付け加えると、
ポルトガル人は基本的にみんな「いい人」だ。今まで「悪人」に会ったことがない。
人をわざと傷つけようとしたり、陥れようとしたりする人を見たことがない。
統計上でも、OECD国の中でトップクラスの「移民に平等な国」ということだ。
右傾化しているヨーロッパにおいて、高く高く評価されるべきだと思う。
旧植民地とも良い関係を保てているのはポルトガルくらいだろう。
これについて、私は異論は無い。
ただ、この国が大航海時代の光を完全に失っている点、経済的に自立しない点など、
目立つマイナス面は、私は国民性が大きく関連していると信じている。

必要以上の仕事はしたがらないクセに見栄っ張り。
問題が起きると解決の前にすぐに人のせいにする。
まずなんでも言い訳から始まる。ごめんなさいが言えない。
でも欲しいもの(権利、福利厚生、ホリデー)はしっかり主張。
社会問題に対してみなそれなりに意見し憤慨し討論するけれど、
はっきり言って誰も「社会の一端を担っている」と思ってないように見える。
だから歯車が回らなくなる。汚い政治やコネが慣習化する。
政治は自分たちに得なことを造り出してくれると信じている。
「痛みを分け合って乗り越える」なんて考えたことないんだろう。

腹が立つこともあるが、私はここでは部外者で、外の人間だ。
彼らにお説教する立場でもないし、そんなものはただのおせっかい。
国民が自分たち自身を見直さなければこの国の復興はないと思っても、
それはここの人たちが決めること。私はブログで愚痴っていれば良いのだ。
見えないところで精一杯がんばってる人たちも沢山いるんだろう。
ただこういう「常識」のなかで、私自身が職場を見つけるのは、
至難の業に思えて仕方ない。

そんな勝手なイメージが私のモチベーションを下げている。

日本で仕事を探せば、また違った苦労がある。
個性が認めてもらえない、過労、モラハラ、セクハラ、
残業、過剰な付き合い、周りの視線、などなどなど。
でも今までの私の経験上、常に自分の居場所は見つかったものだ。
私は、いわゆる「日本人らしい」タイプではないだろうし、
メイクもできないし、くしゃみはでかいし、人前で鼻をかむし、
かわいい訳でも大人しい良い子でもない。
企業で一番扱い安い人種ではないだろう。
高校卒業してすぐに躊躇も無く日本を出たのは、
ティーンネイジャーの好奇心や憧れ、アカデミックな目標以外に、
それなりに「日本社会不適合者」を自覚していたからだろうと思う。

でも日本には沢山の人がいる。人口が多く、流動もある。
経済規模もポルトガルとは比べ物にならない。
よく日本や日本人は文化的ステレオタイプで語られがちだが、
人の数だけ、チョイスがある。
個性や特性を評価してくれるところは探せば見つかる。
みんなが苦しくて当たり前だと思っている。
それを協力して乗り越えようとがんばっている。
自分だけ良ければ良い、という考え方では、
ちいさな島国では暮らしていけないのだ。
そんな気質は、やはり自分に合っていると思う。
そんな風に考えてみると、
例え今のような生活水準が保てなくても、
遊ぶ時間が減ってしまっても、家のことが出来なくても、
日本で仕事をしたいなあと思う。
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# by sayanbon | 2011-05-03 03:24 | 考えた/note of thoughts


My confession 1

最近考えていること。
というか悩んでいること。
超個人の内的な独白になっちゃうけど、
ここでしか頭を整理させてことばを放出できないから。

この夏には、大学院のコースが終わる。
その後の身の振り方を今一度考えている。
ずっと日本に帰るつもりでいた。
でもなんとなく、最近ぐるぐる悩んでいる。本当に、帰るべきか?

現時点で2つの現実的な選択肢がある。
ひとつはそのままプラン決行、日本に帰国、就職。
その際にはもれなくポルトガル人が一人ついてくることになる。
ふたつめは、ポルトガルに残り、こちらで仕事を探す。
引っ越しも必要だろうし、ポルトガル語も本腰入れなくちゃいけないだろう。

今の生活状況は、環境的にも物質的にも満ち足りたものだ。
私達には広すぎる住居は、彼のご両親のもの。
物価も安く、食べ物もおいしく、平和だ。
お恥ずかしながら、この2年間の無職ポルトガル学生生活のうち、
日本から持って来た貯金は一年ちょっとで尽きた。
それからは、彼のお世話になっている。
贅沢はしていないけれど、日常の生活費は彼のお給料から出ているし、
私の大学院の学費(年10万位)も借りている。
結婚はしていない、いわゆる同棲の形だが、
金銭的には私は完全におんぶにだっこ。家事はしているけどそれだけ。
もともと、こちらで仕事でも見つけてやっていくつもりだっただけに、
最初はストレスに押しつぶされそうになっていたけれど、
最近ではこの恵まれた「仮専業主婦+大学」のだらだらした生活に
すっかり慣れてしまっている。

周りからのプレッシャーはない。
強いていえば実家の親が彼に対して申し訳無さげなくらい。
ポルトガルでは、法的な籍が入っているかいないかはあまり重要ではないようで、
彼本人も、彼のご両親も周りの人たちも(口に出さないだけかもしれないが)
こんな状況をふつうに受け入れてくれている。
私が働いていないことについて、言及してくる人もいない。

もし今日本に帰ったら、こんな状況は許されない。
即刻仕事を短期間に探して、住む場所も見つけて、
一から態勢を整えないといけない。
しかも、日本で安心して暮らすにはお金がいる。それなりの。
かといって、30目前になった今の年齢で、修士までとって、
「お金になればどんな仕事でも良い」ところまでは妥協できない。
彼が日本に来たとして、ポルトガルの仕事を持っていくことになる。
ネット環境とPCさえあればできる仕事なので、それは有り難いことだ。
けれど正直なところお給料は、ポルトガルではそれなりにいただいているが、
日本の相場で考えたらとてもとても少ない。
私がしっかり稼がなくては暮らしていけないだろう。
そんなわけで、ヤリガイがあるからといって、
例えばNGOでボランティア並みのお給料じゃ生活は難しい。

若いうちに日本に住んでみたい彼の想いや、
私の故郷への恋しさや、日本の持つありとあらゆる誘惑をひとまず置いておいて、
現実的な長所短所を箇条書きにしてみれば、
ここに残って仕事を探す方が賢明なのかもしれないとちらりと思う。
この国も相当危ない財政状況だが、家もあるし土地もある。
万が一経済が立ち行かなくなっても、家族みんなで協力すれば食べていける。
気候も良いし、災害も少ないし、何より少ない給料でもやっていける。
ただ、、、
モチベーションが上がらないのは、ここで「働く」気にならないからだと思う。
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# by sayanbon | 2011-05-03 02:36 | 考えた/note of thoughts

    

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